地球地学紀行

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Essay ■ 4_76 琴弾浜:若狭の旅1
Letter■ 天然記念物・予定変更
Words ■ 守るべきものを守る心が大切


(2008.04.03)
  若狭湾から越前、東尋坊の海岸を旅行しました。雨と晴れの繰り返しの天候の中、観光地を訪れました、残念ながら雨で断念した場所もありましたが、いくつかの目的地を訪れることができました。


■Essay 4_76 琴弾浜:若狭の旅1

 3月25日から31日にかけて、若狭と北陸の海岸の旅をしました。その時、京都府、丹後半島の西の付け根にある京丹後市の琴引浜を訪れました。琴弾浜は、名前が示すとおり、琴を弾くような音を出すことから名づけられた海岸です。つまり、鳴き砂のある海岸です。英語で海岸の鳴き砂は、ミュージカル・サンドやシンギング・サンドなどと呼ばれています。
  砂ならどこの砂でも鳴るわけではなく、砂の性質がある条件を満たさなければなりません。それは、粒径が0.2から0.6mm程度の砂で、その主成分が石英で、砂粒の表面がきれいである必要があります。このような条件を満たしていれば、その砂は鳴ります。海岸の砂でなくても、砂漠の砂でも鳴きますし、人工的に作ることもできます。
  鳴き砂がなぜ鳴るのかというと、それは砂の主成分である石英の性質が反映されているためです。きれいな石英の表面は、摩擦係数が大きくなるという性質があります。力を加えても、摩擦のために動きづらいのですが、一定以上に力が加わると、耐え切れなくなり動きます。その動いた砂の塊が振動して音を出します。
  しかし、実際にはこの条件を満たすところは、日本ではそれほどありません。それは、石英を主成分とする砂浜が少なく、きれいな海岸が少ないためです。鳴き砂のある海岸は、30ヵ所とも40ヵ所ともいわれていますが、私もいくつか行きましたが、1ヵ所でしか聞くことができませんでした。また、以前は鳴いていたのに、今では鳴かなくなったような海岸もあります。それは、海岸の砂浜が汚れてきたこと、護岸や防波堤などで砂浜が安定しなくなったことなどが原因と考えられます。少しでも汚れると、砂は鳴らなくなります。タバコの灰などで少し汚しても鳴らなくなるといいます。琴弾浜は、今でも鳴る砂浜です。
  そんな琴弾浜ですが、危機が訪れたことがあります。
  1990年2月4日、丹後半島先端の伊根町の海岸にマリタイムガーディニア号が座礁し、流出した重油が琴引浜にも漂着しました。海岸保護のボランティアや町の職員の除去作業で、美しい砂浜を取り戻しました。また、記憶にも新しい1997年1月2日、ロシアのナホトカ号の事故もありました。ナホトカ号が、島根県の隠岐沖で破断し、大量の重油が流出し、日本海沿岸に漂着しました。その重油が、琴引浜にも漂着しました。3月末まで重油回収作業が行われ、のべ12万7000人もの人の努力で、約250トンもの重油が回収されました。このような努力によって、鳴き砂の浜は、今も守られているのです。
  調べたところ、波打ち際から4〜5mの砂浜で、足をするようにして歩くと、「キュッキュッ」とか、場所によっては「ドンドン」という音が聞けるとありました。琴弾浜の海岸で、ぜひ、砂が鳴く音が聞こうと思っていました。でも、いろいろ試してみたのですが、残念ながら、聞くことはできませんでした。多分、訪れた時、海岸の砂が湿っていたためのようです。前夜雨が降り、湿気も多かったので、砂が完全に乾燥していなかったようです。鳴くためには砂は、乾燥していなければならないようです。
  ぜひとも、鳴き砂の音は聞いてみたかったのですが、別の機会となりました。


■Letter to Reader 天然記念物・予定変更

・天然記念物・
2007年7月、琴引浜が国の天然記念物と名勝に指定されました。
これからは、広くこの海岸の重要性が
認識されていくことになると思います。
鳴き砂とは、環境変化に対して非常に敏感であります。
これは、言い換えると、環境変化を知らせる指標ともなります。
ですから、琴引浜を天然記念物として守ることは、
周辺の環境を守ることともいえます。
いつまでも琴引浜が鳴き続けることを祈っています。
すると、今回聴けなかった音でも、
いつか聴けるかもしれないからです。

・予定変更・
今回の旅行は、計画の段階からいろいろ予定変更が続きました。
当初は、鳥取砂丘からスタートして、玄武洞などを見て回りながら、
小松空港まで行く予定をしていたのですが、
東京−鳥取間の飛行機が取れなくて、
小松−千歳空港間の往復を余儀なくさせられました。
そのため、最初の移動距離が長くなるので、
鳥取と兵庫はあきらめることにしました。
この周辺は、大学院の頃調査で、散々走り回った地域です。
兵庫と京都は、その時見て回っています。
しかし、再度見ていこうというのが、
今回の旅行の目的だったのです。
しかし、若狭から北陸にかけてが、目的となりました。