地球地学紀行

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Essay ■ 4_65 古戦場の静内川へ
Letter■ 川らしい川・古戦場へ
Words ■ 古戦場、つわものどもの夢の跡


(2005.10.20)
 10月の連休に北海道の静内川に出かけました。丸一日、静内川を遡りながら調査をするつもりでしたが、残念ながら目的は果たせませんでした。そのときに感じたことを紹介しましょう。


■Essay 4_65 古戦場の静内川へ

 四半世紀も前になりますが、私が卒業論文で調査をした地が、日高山脈のカムイエクウチカウシ山に源流をもつ静内川でした。カムイエクウチカウシ山の標高は1979mです。奇しくも、その1979年に私は、この静内川流域で3ヶ月間滞在して地質調査をしました。
 当時、高見ダム建設の真最中で、ダム予定地付近では、大規模な土木工事がおこなわれていました。山奥なので、街まで2、3時間かかります。通っていては時間のロスとなります。ですから、労働者たちは住み込みの飯場で生活をしていました。大変な数の労働者なので、多くの飯場があり、ガソリンスタンドも店もあり、ちょっとした村ともいうべき場所が出現していました。私は、そんな飯場群の一番上流のところに3ヶ月間、お世話になって、寝泊りすることにして、調査をしました。
 いくらたくさんの人がいるといっても、工事現場のダムサイトから離れるとそこは、日高山脈の奥地です。ですから、人跡のほとんどない沢を、一人で黙々と調査しました。最初は一人で沢を歩くとが怖かったのですが、しばらくすること、一人で歩くこと、一人で調査することの楽しさが分かってきました。ヒグマやエゾシカ、エゾクロテンなどに出会うと恐ろしくもあり、楽しくもありました。
 そして、この3ヶ月に及ぶ野外調査が、私に地質学のすばらしさを教えてくれ、一生の仕事として今も縁があります。
 私にとって古戦場ともいうべき静内川を再訪するために、10月の連休にでかけました。私は、今、地質学と哲学、教育学の狭間をテーマにしてい研究しています。それをライフワークにしようと考えています。しかし、成果がなかなかあがりません。そんな自分自身を見つめなおすために、私にとって学問を目指す原点となった地にもどろうと考えました。そして、そこで感じたことを、今後の自分のライフワークの参考にしようと考えていました。
 静内川沿いには、かつて日高横断スーパー林道の予定地があります。日高横断スーパー林道を造るか造らないで議論があり、結局は造らないという結論になりました。その道を行けば、自分の調査したところが一日で見て回れるはずでした。自分の書いた卒論を読み返して、携えてでかけました。
 実際に行ってみると、高見ダムより下流にある静内ダムで通行止めとなっていました。落石が危険なためと書いてありました。私が調査した地には、残念ながら、入ることができませんでした。未練があったのですが、静内ダムより下流の川原を調査しならが、帰途に着きました。
 調査地より下流の川原で、自分の調べていた石ころを手にしながら、見ることのかなわなかった上流の調査を思いました。そして、過去を振り返ることはないのだ、未来をみて進むことを考えればいいのだと悟りました。
 静内川の下流近くの川原を調査しているとき、本流から分かれた小さいな流れにサケが遡上して産卵している場所を見かけました。今まで、秋に北海道の川を調査すると、サケの遡上は良く見かけました。しかし、産卵をする光景は始めてみました。感動してしばらく立って見入っていました。
 産卵に適した場所を何度も回りながら泳ぐメスの周りを、ガードするように一匹のオスが回っています。時々来る別のオスを追い払いながら、傷だらけのオスがメスを守ります。メスは砂利の川底を時々尾びれで掘り返しています。オスは、時々メスに産卵を促します。そんな繰り返しが延々と続いていました。実際の産卵するまでには長い時間がかかるようなので、30分ほど見ていたのですが、あきらめて帰りました。
 流れる時間には攻し難きものがあります。私はそんな過去を顧みるために静内川の古戦場に戻りました。結局はいくつくことができませんでしたが、サケの産卵現場をみて、それでいいのだと思いました。
 産卵現場の少し川下には多数のサケの死体がありました。それを食べる鳥たちがたくさんきていました。サケは死してなお、自然への恵みとなります。自然の生き物は、このように時の流れの中で、自分の役割を果たして死んでいきます。私も、自分の選択を信じて、時の流れに乗り、過去を振り返ることなく、前を見て進もうと考えました。



■Letter to Reader 川らしい川・古戦場へ

・川らしい川・
静内川は二級河川です。
もちろん治水工事は各所でなされています。
しかし、いい川原があれば、
そこに行くことができました。
ある沢の合流の出会いでは、
広々とした川原が広がっていました。
非常に気持ちのよい川原でした。
別のところでも広い川原があり、昼食をとりました。
久しぶりに川原らしい川原をいくつも見ました。
こんな当たり前の自然の川原を
北海道でも今までなかなか見ることができませんでした。
そのためストレスがたまっていたのですが、
今回の静内川で、川らしい川を見て
今までのストレスを晴らすことができました。
やはり静内川は私にとって
新たな心がまえを与えくれました。

・古戦場へ・
なぜ古戦場へいくことを思い立ったのかというと、
それは地質学者の巽好幸さんが書かれた
「安山岩と大陸の起源 ローカルからグローバルへ」
という本の最後に、こんな言葉が書かれていました。
「もっとたくさんの課題があるに違いない。
人生は無限に続く訳ではないのだから、
より効率的に、そしてしっかりと物事を進めていくために、
少し冷静になって考えてみたいと思っている。
そのためにも、私はこの本を抱えて、
もう一度小豆島を訪れるつもりでいる。」
小豆島は、巽さんが卒業論文で調査されたところです。
私もこの言葉に刺激されたのです。
一流の研究者と私とでは、
やはり能力も行動力も違うのでしょう。
私には、天も味方しませんでした。
でも、古戦場の川は、過去より未来を、
今流れている時間を精一杯に生き抜くことの
大切さ教えてくれました。