地球地学紀行

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Essay ■ 4_54 種子島2:宇宙への入り口
Letter■ 人類共通の思い・北海道の春
Words ■ 思いとは裏腹に


(2005.02.24)
 種子島では、地質を見ることの他にも、種子島宇宙センターを見学することが大きな目的でもありました。そこで感じたことを紹介しましょう。


■Essay 4_54 種子島2:宇宙への入り口

 鹿児島県は、日本で宇宙に一番近いところです。それは、大隈半島の内之浦町と種子島の南種子町には、ロケット発射基地があるからです。2つあるわけは、もともとは旧文部省と旧科学技術庁が別の組織であったときに、別々にロケット開発が行われていたためです。それが、行政改革によって文部科学省としてひとつの組織体となり、2つのロケット発射基地が今ものこっているわけです。内之浦町は「鹿児島宇宙空間観測所」、南種子町は「種子島宇宙センター」と呼ばれています。
 でも、日本に2つしかないロケット発射基地が、なぜ両方とも鹿児島県にあるのでしょうか。不思議な気がします。
 その理由は、静止衛星を打ち上げるときは、赤道上空にロケットを打ち上げます。その時には、赤道に近いほうが燃料が少なくてすむからです。なにも燃料ぐらいケチらなくてもいいのではないかと思われますが、ロケットの重量のうち大部分を燃料が占めます。軽いほうが打ち上げるのは楽ですから、燃料をいかに少なくするのかも重要な問題となります。
 また、ロケットの速度を増すのに、地球の自転のスピードも利用しています。地球は西から東に向かって自転しているために、打ち上げる方向は東向きが一番効率的になります。自転のスピードが一番大きいのは赤道なので、日本ではできるだけ南の方がいいことになります。
 赤道に向かって、自転の力を使うためには、南東方向に打ち上げることになりますので、事故があったときには、何もない海が東側や南側に開けている必要があります。さらに、多くの施設や安全確保のために、広大な無人の敷地が必要です。このようなさまざな条件を満たすことが、ロケット打ち上げ基地として重要な条件となります。
 ロケット基地の選定当時、沖縄がまだアメリカ合衆国から返還されていない時期のことだったので、鹿児島県が、宇宙に一番近い地となったのです。
 私にとって科学は生業として生活の糧を稼ぐすべである以上に、大好きなものであります。ただ好きだけではなく、科学という行為をどうすべきかということについても、考えています。したがって、人類が行っている科学的行為、あるいは科学や技術の使い方などに対して、特に大きく目立つものについては、さまざまな意見や感情を持っています。
 たとえば、もともとは別組織だとはいえ、2つの重複すような目的の施設の維持が本当に必要なのか。巨大科学は注目を引きますが、本当にそれを優先すべき理由を国民が理解しているか。あるいは国民を納得させる努力を最大限におこなっているのか。税金を大量につぎ込んだ科学を、国民に変わる形で還元しているのか。巨大な同一組織において、科学者の倫理感は統一できているのか。などなど、いろいろ考えるべきことはありそうに思えます。
 しかし、科学技術の粋ともいう種子島宇宙センターを巡っていると、なぜだかはわかりませんが、いろいろな感情は吹き飛ばされ、子供のようにすごいという驚きの気持ちだけになって眺めています。以前、内之浦のロケット発射場、NASAのフロリダのケネディ基地、大きな海洋調査船、小さいですが精緻で堅牢な深海探査艇などを見たことがあります。そんなときにも、私のいろいろな感情を、一時的ですが、吹き飛ばすほどの、深い感銘を与えました。それぞれに対して、いろいろ批判すること、修正すべきことはあるのでしょうが、ただただ見とれているだけでした。
 理由は定かではないのですが、人類の英知の集積の結晶、象徴として、巨大なもの、精緻なものを目の当たりにしているからではないでしょうか。つまり、大きさや精緻さなどを経て「もの」がもつにいたった「迫力」のようなものではないでしょうか。あるいはその「もの」の背景に隠されている人類の英知の迫力が、私を黙らせるのではないでしょうか。これは、もしかすると、「長い時」という背景をもつ屋久杉の迫力に共通する何かがあるのかもしれません。
 さらに、ロケットとは、地球を飛び出すために人類がもっている唯一の手段です。そこに、ロマンも感じているのではないでしょうか。そんなことを種子島の宇宙への入り口で感じました。



■Letter to Reader 人類共通の思い・北海道の春

・人類共通の思い・
1月にいった屋久島と種子島の旅を、
4回にわたって紹介してきました。
屋久島では、大地と自然が織り成す、
不思議で長い時間をかけた営みを見てきました。
種子島では、地質の違いが地形を大きく変えること、
そして巨大な施設の迫力や宇宙へのロマンを感じました。
同じような思いは、
一緒に行った小さい子供たちも感じたようです。
ですから、ここで述べたような感情は、
もしかしたら、人類共通に持つ思いなのかもしれません。
屋久島の自然。種子島の人工。
どちらもそれなりの思い出を得られました。
また、機会があったら、再訪してみたいものです。

・北海道の春・
私は、朝6時ころに自宅を出て、
夕方5時ころに研究室をでます。
私が通勤で歩いている時間帯は、
今ころがちょうど日の出と日の入りの時間帯と重なります。
ですから、昼の長さをよく感じることとができます。
季節は、着実に春に向かっています。
ところが、日が伸びていっても、
北海道では、来る日も来る日も、雪が降っています。
道路には、雪の高い山ができて、見通しが悪く危険です。
次男がインフルエンザにかかり、
長男の学年が風邪のために学級閉鎖になっています。
まだまだ、北海道の春は先でしょうかね。