地球地学紀行
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Essay ■ 4_32 城川:四国の旅3
Letter■ 城川町立地質館・調査の成果・遠方の友を訪ねる
Words ■ 旧友を訪ねる旅

(2003年5月29日)
 全国で市町村合併について話し合いが進んでいますが、愛媛県でも市町村合併として、西予(せいよ)という市が、来年から生まれます。そんな西予市のひとつに城川町があります。今回は、城川町の話題です。


■Essay

 愛媛県東宇和郡城川町という山間の町があります。四国や愛媛県の人には、ご存知の方がおられるかもしれませんが、ご存知でない方が多いと思います。しかし、じつはこの町のさらに小さな地域の名称が、地質学者には非常に有名なものとなっています。
 その名称とは、黒瀬川構造帯、寺野変成岩、三滝火成岩類などがあり、中でも黒瀬川構造帯は、地質学の世界では非常に有名です。ただし、この地質学的名称が、城川町内の地名が、その由来だとは知らない地質学者も、多いかもしれません。
 黒瀬川構造帯は、地質学では、西南日本外帯の秩父累帯に中にある不思議な岩石がでてくる地帯です。その地帯は、多数の断層によって構成されており、異質で多様な岩石がでるところであります。不思議なというのは、秩父累帯の岩石が、付加体の岩石(海洋底の玄武岩、チャート、石灰岩、陸から供給された堆積岩)でできているのに対して、まったく異質な岩石からできているからです。その異質な岩石の中に、寺野変成岩や三滝火成岩類があります。
 寺野変成岩や三滝火成岩類は、約4億4000万年前のものです。これらの岩石は、秩父累帯がたまった海とはまったく別の環境である大陸を構成していたものだということです。それは、黒瀬川古陸とも呼ばれ、ゴンドワナ大陸とという大きな大陸から分かれてきたのではないと考えられています。
 これらの黒瀬川構造帯の岩石が、城川町内によく分布しているのです。黒瀬川とは、城川町がまだ黒瀬川村と名乗っていた時代に、この地で精しく調査されたため、命名されました。また、三滝変成岩の三滝とは、花崗閃緑岩という岩石からなる三滝山に由来しています。寺野変成岩の寺野とは、三滝よりさらに上流にいったところにある地名に由来します。
 もう一つ、地質学者でもあまり知られてないのですが、重要な地質学的証拠の一つが、この城川町の地層から見つかっています。それは、生物の歴史で最大の絶滅のおこった古生代と中生代の境界(P-T境界、2億4500万年前)の地層が、城川町の田穂(たほ)の石灰岩の調査で見つかっていることです。
 現在の日本では、P-T境界の地層は、東から西に並べていくと、岐阜県大垣市赤坂(石灰岩)、愛知県犬山(チャート)、愛媛県城川町(石灰岩)、宮崎県西臼杵郡高千穂町上村(石灰岩)の4ヶ所しかありません。そのうちの一つが、この城川町にあるのです。これらは、秩父累帯とその東側の延長に当たる美濃帯の地層の中にあります。距離からすると、現在でも500km以上離れています。
 秩父累帯の地層は、付加して、現在は陸地なっていますが、もともとは海洋域で形成された岩石です。石灰岩海山や海洋島で、チャートは海底でたまったものです。海洋域にたまる地層は、陸地に見られる局所的な気候や変動に左右されない堆積物がたまります。そんなところに、P-T境界の異変が記録されていたのです。P-T境界時代の海という環境を探るには、非常に重要な資料となっています。
 田穂の石灰岩をP-T境界と最初に認定されたのは、横浜国立大学(当時)の小池さんで、その重要性を指摘されたのは、東京大学の磯崎さんです。その研究は現在進行中であります。



■Letter to Reader 城川町立地質館・調査の成果・遠方の友を訪ねる

・城川町立地質館・
地質学的興味のあるかたで、
城川に行かれる機会があれば、
ぜひ、この地域の地質を紹介していている博物館、
城川町立地質館を訪ねてみてください。
そこでは、この地域に産出する代表的な標本と、
その解説があります。
訪れる人は少ないですが、地質学者には、
結構、魅力のある博物館だと思います。

・調査の成果・
愛媛県松山空港から、高知県の四万十川を下り、河口の中村市まで行き、
そして、松山へもどりました。
ゴールデンウィーク中の6泊7日の家族旅行です。
私は、高知県の四万十川の源流から河口までの岩石調査が主な目的でした。
他に、愛媛県の面河川、肱川なども調査をしました。
岩石の標本を320個ほど、砂の標本を13ヵ所で採取し、
写真を880枚ほどとりました。
成果はこれから実験室にもどって細かな記載をしなければなりません。
これが、なかなか大変です。
でも、この苦痛に類することも研究の一環です。
それに、北海道の冬は野外調査ができないので、
室内作業をする余裕はたっぷりあります。

・遠方の友を訪ねる・
今回の旅行のもう一つの目的は、
城川町にいる後輩でもある友人を訪れることでした。
彼とは1年に一度会うか会わないわからないですが、
可能な限り会うようにしています。
家族ぐるみの付合いをしています。
もともとは大学の後輩ですが、
城川町立地質館の作るとき、
わたしが、手伝って、現在でも、交流を続け、
町の子供たちの夏の講座を開催したり、
資料の交換、データの交換などのネットワークの実験をしています。
そんな関係で、私は、この10年ほどの間に、
何度も城川町を訪れているのですが、
家内は2度目、子供たちは始めてです。
友人や子供たちは、私のところに行事で訪れたりしているので、
うちの家族には会っていました。
そんな遠くの友人と旧交を温めるのも、
楽しいものです。