地球地学紀行
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Essay ■ 4_31 四万十:四国の旅2
Letter■ 四万十川の味・快晴の四万十川
Words ■ 川に秘められてた大地の歴史

(2003年5月22日)
 四万十川への旅の話の2回目です。四万十川は、水清く、純朴な人たちが川とともに生活していました。四万十川の地質について考えましょう。


■Essay

 今回の旅行は、四国西部の南北を縦断する旅でした。そして、このような旅をすることによって四国の地質を大局的に眺めることができます。
 日本列島は、中部地方を南北に走るフォッサマグナを境にして、西側を西南日本、東側を東北日本と呼んで、区分しています。そして、西南日本には、東西に走る中央構造線が走っています。中央構造線は、中部地方から紀伊半島、四国を通って、九州に延びています。中央構造線の北側を内帯、南側を外帯と呼びます。
 四国には、西南日本内帯の一部と西南日本外帯という地質体があり、その境界が、中央構造線です。四国の中央を通る中央構造線があるために、東西に延びる山脈ができています。また、中央構造線の延びる方向に、すべての地質体は、配列しています。
 今回の旅では、その西南日本内帯から西南日本外帯を車で、一気に走り抜けました。
 西南日本外帯は、北側から、三波川帯、秩父累帯、四万十帯という大きな区分があります。
 三波川帯は、結晶片岩と呼ばれる高圧の条件で形成された変成岩からできています。秩父累帯は、かつての大陸のふちに、沈み込むプレートからはがれさた堆積物がくっついたもの(付加体)からできています。四万十帯は、秩父累帯よりさらに新しい時代の付加体です。
 このような大きな地質帯の境界は、たいてい大規模な構造線となっています。三波川帯と秩父累帯との境界は、上八川(かみやかわ)−池川(いけがわ)構造線とよばれる大断層で、秩父累帯と四万十帯の境界は、仏像(ぶつぞう)構造線と呼ばれるものです。
 今回は、四万十川の流域を中心としましたが、愛媛県上浮穴郡美川村にある仁淀川の支流、面河(おごも)川の河原と、愛媛県の肱川の河口では、結晶片岩の石ころをたくさん見ることができました。美川村の河原の砂は、緑色片岩の破片が多いせいか、緑色をしていました。
 四万十川では、秩父累帯や四万十帯の堆積岩の石ころをたくさん見ることができます。四万十川の河原の川原の石ころは、礫岩、砂岩、泥岩や石灰岩を多く見かけました。それは、四万十川が、付加体の堆積岩の中を流れる川だからです。ちょっと不思議なことですが、四万十川の河原では、なぜが砂がほとんどなく、石ころばかりの河原でした。中村市の四万十川の河口では、砂を見ることができました。四万十川河口近くの海岸でみた砂浜は、白から茶色っぽい、よく見かける堆積岩に由来する砂でした。
 河原の石ころや砂は、その地域の地質を反映した標本箱のようなものです。そして、その一部は海底にたまり、やがて堆積岩となっていくものです。



■Letter to Reader 四万十川の味・快晴の四万十川

・四万十川の味・
四万十川の源流周辺は四国カルストにあたります。
そして、源流のカルストには天狗高原があります。
そこに宿泊したのですが、
地酒は、「てっぺん四万十」というものでした。
飲み水は、「四万十源流の水」でした。
もちろん、両方を心ゆくまで味わいました。
高知では、カツオのタタキ、タコ、イカの刺身などの海産物だけでなく、
ヤマトテナガエビ、アユ(まだ解禁されていませんので冷凍でしょう)、
アメゴ、川ノリ(セイラン)などの川の産物もいろいろありました。
愛媛では、うどんが美味しかったです。
このように遠い土地に出かけると、いろいろな味覚を楽むことも
旅行の醍醐味でしょうか。
それとも単に食い意地が張っているだけなのでしょうか。

・快晴の四万十川・
四万十川の源流の四国カルストの天狗高原についた日は、
濃霧に曇っていました。
非常に肌寒く、北海道のような気候でした。
夜から晴れはじめ、放射冷却で、車の窓ががりがりに凍っていました。
まるで同じ頃の北海道のような気候でした。
放射冷却で冷え込んだ日、四万十川を下る日としては、絶好の快晴でした。
そして、四万十川を巡る3日間はすーっと快晴だったので、
家族一同、すっかり日焼けしてしまいました。
温泉にはいると、肌がひりひりしました。
これも家族にとっては大切な旅の思い出でしょうか。