地球の仕組み

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Essay■ 3_32 ドロマイト
Letter■ ジンギスカン・自分
Words ■ 北海道には梅雨がないので、いいですね。


(2004年6月3日)
 前回の硬水と軟水に関連した話題で、ドロマイトという名前の石が出てきました。ドロマイトについてわからないという質問がありましたので、今回は、ドロマイトについて紹介しましょう。


Essay 3_32 ドロマイト 

 ドロマイトは、石灰岩の仲間ですが、石灰岩が炭酸カルシウム(CaCO3)という化学成分をもっているのですが、ドロマイトは、炭酸カルシウムは半分で、あとは炭酸マグネシウム(MgCO3)になっています。ドロマイトは、石灰岩のカルシウムが、マグネシウムに置き換わたものとみることができます。岩石の見かけも、石灰岩に似ています。
 ドロマイトは、フランスの地質学者のデオダ・ドゥ・ドロミュ (1750-1801)にちなんで名づけられました。石灰岩の炭酸カルシウムは方解石という鉱物で、ドロマイトをつくる鉱物はドロマイトとよばれます。岩石も鉱物も同じ名称なので、ややこしいのですが、日本語では、鉱物を苦灰石(白雲石とも呼ばれる)、岩石を苦灰岩として区別されています。ちなみに、イタリアのドロミテ・アルプスはドロマイトが多いことから名づけられたものです。
 ドロマイトのでき方は、ドロマイトが直接たまることはないと考えられています。石灰岩からドロマイトに変わっていくと考えられています。その作用は、石灰岩の炭酸カルシウムが炭酸マグネシウムに置き換わってできていくことになります。その交代作用は、石灰岩ができて比較早い時期に起こる場合と、長い時間をかけてできる場合とがあります。いずれにしても、ドロマイトは石灰岩といっしょにでることが、多くなります。
 海でできた石灰岩のカルシウム分が、特別な条件になると、海水中のマグネシウムと置き換わることが起こることがあります。熱帯の海で塩分濃度が高くなったとき、石灰岩のカルシウムとマグネシウムが交代することがあります。
 また、長い時間を経た石灰岩には、ドロマイトに変わっているものがよく見られます。ドロマイトは、石灰岩できた場所で起こるだけでなく、経てきた歴史によっても、ドロマイトに変わっていく作用がおこります。したがって古い時代の石灰岩は、ドロマイトに変わるチャンスが多くなります。
 海で形成された地層が、プレートテクトニクスの営みによって、プレートが沈み込む付近で大陸に付け加わります。このようにしてできた付加体の中の地層には、海で形成されたサンゴ礁や陸付近で溜まった石灰岩がよく含まれています。日本の多くの地層は付加体できています。付加体の中には、規模は様々ですが、石灰岩がたくさんのところから見つかります。付加体の石灰岩のあるものは石灰岩のまま、あるものはドロマイトに変わっています。
 日本では、栃木県の葛生地方が産地として有名で、全国の生産量(400万トン/年)の90%を占めています。石灰岩の産地は、栃木県の葛生のほかに、岐阜県、三重県、北海道(上磯町)、高知県、大分県などがあります。葛生のドロマイトは、2億年前に赤道付近の海洋島の周囲で形成されたサンゴ礁が起源だと考えられています。サンゴは動物の仲間で、石灰岩のカラをもっています。小さなカラがたくさん集まったものがサンゴ礁です。サンゴ礁は石灰岩からできています。葛生のドロマイトは、サンゴ礁の石灰岩が、海水のマグネシウムと交代したものだと考えられています。
 産地というからには、ドロマイトを採掘しているということです。ドロマイトは、工業用の素材として、いろいろと利用されています。ドロマイトは、溶けた鉄鉱石の中のリンやイオウなどの不純物を取りのぞくのに利用されたり、溶鉱炉の耐熱の壁材を保護するのに利用します。植物の栄養素として、窒素、リン、カリウムの3つが有名ですが、カルシウムとマグネシウムを含めて5要素といわれています。ですから、ドロマイトの成分が肥料としても利用されています。さらに、透明感があり、きれいな結晶は、宝石にされることもあります。


Letter ジンギスカン・自分

・ジンギスカン・
本州では梅雨入りしているようですが、
北海道は、梅雨がありません。
いい気候の時期となります。
そんな天気のいい日の日曜日、
小学校で父兄の作業があり、
校庭の環境整備をしました。
小学校は、森のはずれの田園地帯にあります。
朝、カッコウの鳴き声を聞きながら
多くの父兄が集まり、作業をしました。
お昼は、皆でジンギスカンを食べました。
そしかするとそれが、目当てだったのかもしれませんが。
学校の中庭で、大きなジンギスカン鍋10台を並べて、
大規模なジンギスカン大会をおこないました。
業者にジンギスカンをすべて依頼してましたから、
火付けや片付けもお任せです。
だから、非常に楽しみながらのジンギスカンでした。
もちろん、おいしかったです。

・自分・
長いようで短い5月も終わりました。
5月は、4月のあわただしさと比べて、比較的落ち着いてくるはずです。
ところが私の場合は、
このひと月、いつものようにあわただしく過ぎました。
そんなひと月を振り返った慰め、あるいは言い訳のメモを書いたので、
紹介しましょう。
「何をなしたかは問うまい、振り返るまい。
それは自分が一番知っている。
それに満足感があるかどうかも
自分のみが知ることである。
反省は必要だ。
しかし、反省によって夢を捨てるようなら
反省などしないほうがいい。
反省して、明日からの前進につながればいい。
反省で、つらい思いのみ残るのであれば、
そんな反省はしないほうがいい。
生きていくことは大変だ。
しかし、生きていかねばならない。
そのために、努力をすることを怠ってはならない。
過大なる夢であっても、望むのであれば、
努力し、その結果、破れても後悔すまい。
できそうな希望を望み、
そんが果たせなくとも、悔やむまい。
そんな夢や希望を持ったもの自分。
果たせなかったもの自分。
すべて自分の中の営み。
その営みだけな確かのものである。
それを確かだと思える自分こそが、信ずべきもの。
生きていくということは、
自分自身をどれほど信じるかであろう。
たとえ自分が自分を裏切ったとしても、
自分は自分を許せるか。
夢を果たせなかった自分でも、信じ、
再度、夢を託せられるか。
同じ一生を共にするなら、
頼りない自分であっても、信じるしかない。
いつでも自分からはじまり、いつまでいっても自分である。
もしもそんな一生の相棒の自分が、
期待に応えてくれたら、
大いに褒めてやろう、喜んであげよう。
そんな日が来ることを、根気強く見守っていよう。」