生命の歴史
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Essay■ 2_139 三畳紀の大絶滅 2:ビック5
Letter■ P-T境界・冬の訪れ
Words ■ 秋もそろそろ終わりそうです


(2016.11.03)
 今回は、大絶滅の順位付けを、どのように考えてきたのかをみていきます。正確で客観的な順位付けをするには、統計的検討に十分たえるデータが必要になります。そのためには、多数の研究者の地道な努力が不可欠です。


Essay■ 2_139 三畳紀の大絶滅 2:ビック5

 生物の大絶滅といっていますが、大絶滅の「大」をどのように決めるのでしょうか。時代境界がその「大」に当たっていればわかりやすいのですが、必ずしもそうはなっていません。なぜなら時代境界は地質学が構築され、過去の時代を区分してきた歴史的経緯を反映しているので、大絶滅を根拠にしているとは限らないからです。それに大絶滅を、どのように客観的に示すかも、問題となります。
 客観的に示すには、絶滅した種数が多い順に並べて決めていけばいいわけです。この原理は簡単で、誰もが納得できますが、そのためには長い準備期間と多大な努力、そして科学の普及が必要なります。
 絶滅の頻度を決めるには、信頼性のある大量の化石のデータが必要になります。その量は、統計的に検討して、はっきりの順位付けができる量がなければなりません。つまり古生物学の進展とともに、データの蓄積がなければならないのです。また大絶滅はある地域だけの現象ではないので、全世界的にひろがっているという現象のはずです。これは一部の地質学先進国の研究だけで決定することはできません。世界中の多くの地域、いろいろ時代で研究を進めていく必要があります。そのためには、古生物学が世界的に広がり、古生物学に関わる多くの人材が必要になります。それらの成果が集まって、大絶滅が定量的に客観的に示せるようになるのです。
 セプコフスキー(Sepkowski)が先駆者となって進めました。セプコフスキーは海の動物に関する大量の化石データのデータベースを構築して、時代ごとにグラフにして、どの時代にどの程度の絶滅があったかを、一目瞭然にしてくれました。セプコフスキーの研究によって、客観的に大絶滅を論じることができようになりました。必要であれば、植物、陸上生物などを加えたり、区分して検討することもできる道筋をつけたのです。
 このような検討から、化石を用いた大きな絶滅のうち、ベスト5(ワーストと呼ぶべきでしょうか)が決められるようになりました。時代順にみていくと、オルドビス紀末(約4億4400万年前)、デボン紀後期(約3億7400万年前)、ペルム紀末(約2億5100万年前)、三畳紀末(約1億9960万年前)、白亜期末(6550万年前)になります。絶滅の規模は、研究者や着目する分類群によって違っているのですが、絶滅の大きさの順にみていくと、ペルム紀末、オルドビス紀末、デボン紀後期、三畳紀末、白亜期の順になります。ある基準の数値でいうと、最大の絶滅であるペルム紀末では95%の種の絶滅が起こり、5番目の白亜期末では70%になったとされています。
 白亜紀末の絶滅は、K-Pg境界(かつてはK-T境界)と呼ばれ、恐竜やアンモナイトなどの絶滅があり、非常に大きな絶滅であったと考えてしまうのですが、実は5番目なのです。そして、現在このK-Pg境界の大絶滅は、隕石の衝突が原因であったとされています。でも、他の時代はまだ、絶滅原因は不確かでした。
 今回注目している三畳紀末の大絶滅は、ベスト4になります。次回からの三畳紀末の絶滅の進展を見てきましょう。


Letter■ P-T境界・冬の訪れく

・P-T境界・
すべての種の5%しか生き残れないような
P-T境界の絶滅とは、どのようなものか気になります。
しかし、その実態はまだよくわかっていません。
P-T境界の研究は、日本が中心になり進んでいます。
境界のいつかが日本にあること
それを日本の研究者たちが中心になって
発見、調査研究していきたことから
一日の長があります。
今後、その実態が少しずつ明らかにされていくでしょう。
ただし、絶滅の原因となった地質現象が
日本列島にはないことが残念です。
そもそもその時代に日本列島は存在してなかったのですが。

・冬の訪れ・
11月になりました。
北海道は肌寒い日が続いています。
里にも雪が、何度もちらつき、
少し積もることもありました。
でも雪で車が動けなくなようなことはまだありません。
まあ、北海道の人はいち早く冬タイヤにしていますが。
我が家も、先週交換しました。
長距離の出張があり、峠越えの可能性もあったので、
早目に冬タイヤに変えていました。
足回りは、いつ降っても大丈夫なのですが、
はやり冬の訪れは、心が重くなります。