生命の歴史
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Essay■ 2_37 後世に残るということ:進化3
Letter■ 師弟関係・北海道の夏
Words ■ 師より長生きすることが、私の師への恩返し? 


(2005年6月30日)
 世に残る成果には、いろいろあります。天才的なひらめき、高度な数学的処理、大きな装置を使っての大規模な実験や観測、複雑なプログラムによるシミュレーション、どれも能力のある人がなせるものです。しかし、長期間継続した研究によって残る成果を上げる人もいます。このような研究は、能力以上に継続する強い意志が必要です。そんな研究者の仕事を紹介しましょう。


Essay 2_37 後世に残るということ:進化3

 絶滅の周期についての研究を前回紹介しましたが、そこで用いられたデータは、ある一人の研究者によって構築されたものです。その研究者の名は、セプコスキー(J. John Sepkoski Jr.)です。
 セプコスキーは、1948年7月26日にマイアミで生まれました。ノートルダム大学で学士、ハーバード大学で学位を取得しました。サウスダコタのブラックヒルズで野外調査による古生物学の研究をおこないました。最初はロチェスター大学で教鞭をとり、後にはシカゴ大学に移りました。シカゴの自然史フィールド博物館の研究員もかねていました。
 セプコスキーが、ハーバード大学在学しているとき、古生物学者のグールドに師事していました。その時に、このデータベースをつくり始めました。彼のデータベースは、シンプルでした。彼は古生代以降の顕生代の生物で、海洋の動物化石の属という分類の単位で、報告されているすべての化石のデータを集めました。彼が集めたデータは、属の数で3万7000以上になりました。
 セプコスキーは、なぜ属という単位を用いたのでしょうか。生物の分類のいちばん小さな単位が種というものです。種を用いた方がよかったのではないでしょうか。種の上の分類が、属になります。化石の場合、種のレベルの分類の考え方は、研究者によっても違ってくるし、研究の進展により、種のレベルでは、変更がよく起こるります。属のレベルだとそのような激しい変更は少なくなります。ですから、属のレベルでデータベースをつくりました。
 生物の分類名のつけ方は、かつては、属は中の種が持つ共通の特徴を書き、種は個別の特徴をすべて書くようにしていました。ですから、やたら長い分離名称となっていました。現在では、属名と特徴的な1語で種を表す方法がとられています。これは、18世紀にリンネが用いて普及した、二命名法と呼ばれているものです。古生物もこの命名法にならっています。
 また、セプコスキーが海の動物化石を用いたのは、陸上生物は、古生代の初めにはいませんでしたし、生物が土砂の中に埋もれて化石になるので、陸上生物では、生きていたものがすべて化石になる率は少なくなります。化石としてよく保存されているのは、海洋生物です。特にプランクトンのような微生物は、チャートなどの海洋底堆積物をつくることから、大量に地層の中から発見できます。
 セプコスキーのデータベースは、大量の論文を長年にわたって集め続けました。属の中の種がどれかが見るつかれば、その属の出現時期として、属のどれか種が最後に見つかった時代を、その属の絶滅として記録しました。これだけを淡々と継続的に続けたのです。
 単調で単純な仕事にみえますが、実際にやろうとすると、網羅的に、そして新しい論文を次々と集めてその内容を検討していくという、膨大で永続的な作業を続けなければなりません。彼は、20数年間にわたってこのデータ収集を続けたのです。その継続するという志には、頭が下がります。そして見習うべき志だと思いました。
 セプコスキーのこのデータ収集は、1999年5月1日に終わりました。新しい属ができなくなったのではなく、彼が死んでしまったからでした。50歳という若さでした。高血圧による心不全で、自宅で亡くなりました。
 しかし、セプコスキーのデータベースは、今も、生き続けて活用されています。2002年にはアメリカ古生物学雑誌で「化石海洋動物属概要」という563ページの大部の本が、彼の著書として出版されました。そこには、CD-ROMで彼のデータベースがついています。セプコスキーという研究者の存在はなくなりましたが、彼のデータベースという業績は、今も多くの研究者が活用しています。それが、今回のネイチャーの論文へとつながっているのです。


Letter■ 師弟関係・北海道の夏 

・師弟関係・
私は、論文や彼のデータを用いた図は見ていたはずなのですが、
セプコスキーという彼の名前を知ったのは、
ネイチャーに掲載されたロードとミュラーの論文から、
いろいろ調べていく過程でした。
一方、彼が師事したグールドは、私が尊敬する古生物学者でした。
そのグールドのとろこでセプコスキーは博士論文の研究をしていたのです。
そのグールドも2002年に60歳で逝きました。
そして、グールドと7つ違いの弟子が師より先に逝ったのです。
師はそのときどんな思いだったのでしょうか。
私は、恩師をすでに2名亡くしました。
恩師には報いることはできなかったのですが、
少なくとも恩師より今のところ長生きしています。
それだけがとりあえずの恩返しとなっています。
立派な研究をして恩師を喜ばせることは、
いつのことになるでしょうか。
そもそも私にできるのでしょうか。
不安ですが、自分のペースで怠けることなく励むしかありません。

・北海道の夏・
北海道も夏らしくなってきました。
日中は暑い日が続きます。
私の大学建物は南北にのびる建物が多く、
中央に南北に伸びる廊下があり、
東西に教室や研究室があります。
私の研究室は、5階建ての5階の西向きにあります。
窓が西向きにあり、午後からは西日が差します。
窓もドアも開ける風が通るのですが、
快晴の午後は耐えられない暑さになってきました。
今年は今のところ雨も少なく、暑い夏になりそうです。
北海道の建物は寒さ対策をしているのですが、
暑さ対策は窓を開けるだけです。
朝夕は涼しいので、窓を閉めなければならないのですが、
午後の暑さはたまりません。
でも、これも北海道の自然なのです。
甘んじましょう。


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