生命の歴史
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2_28 大氷河期
Letter■ 年賀のお礼・母の滞在
Words ■ 生命だから、人間だから、家族だからできることもある 


(2004年1月8日)
 海水のマントルへの逆流と同じような時期に、地球に寒冷期が訪れます。氷河期です。その氷河期は、私たちの想像を越えるものでした。そんな大氷河期も生命は生き延びています。しかも大発展をしてしまうのです。


Essay 2_28 大氷河期

 7億5000万年前から5億8000万年前までの間の地層に、不思議なことに、いたるところで、氷河堆積物が見つかっているのです。
 氷河堆積物とは、氷河によって運ばれた堆積物のことで、ティライト(tilite、氷礫岩)や、ヴァーブ(varve)、ドロップストーン(dropstone)などがあります。
 ティライトとは、巨大な礫から粘土まで、さまざまなサイズの堆積物が混在した岩石で、普通の地層ではこのような変な堆積岩はできません。ヴァーブとは、年輪のような縞模様をもつと堆積岩で、氷河湖でたまった堆積物が氷河の季節変化に呼応して、縞模様をつくったと考えられています。ドロップストーンとは、氷河で運ばれた大きな石が、縞状堆積物の中に挟まっているものです。氷河湖に流れ出した氷河の中に含まれていた岩石が、氷河が溶けることで湖の堆積物の中に沈んだと考えられています。
 また、氷河に運ばれたり削られていた岩石には、氷河の傷跡である氷河擦痕(さっこん)がついています。さらに、氷河堆積物の周辺には、モレーンやU字谷などの氷河による地形が見つかることもあります。
 大陸の内陸には、乾燥した大地が広がっていました。それは、蒸発岩(石膏、岩塩)とよばれる岩石が見つかることが証拠となっています。
 現在でも、氷河は、極地の周辺や、高山にはみられています。しかし、6億年前には、いくつもの大陸が、赤道付近に分布していたと考えられています。ですから、多くの大陸は暖かい地域にあったはずです。なのに氷河があったのです。
 現在の地球でも、赤道付近で標高5000m以上には氷河が形成されることがあります。しかし、6億年前だけに、5000m以上の陸地が広く分布したとは考えられません。
 以上のことを考え合わせると、6億年前の地球全体が、非常に冷たかったと考えられます。ある推定によると、平均気温は-50℃、海面は1kmの厚さの氷に覆われていたというものがあるほどです。幸いながら地球内部から熱が、つねに放出されているので、海洋の底までは凍らなかったと考えられています。こんな時期が、1000万年あるいはそれ以上続いたとされています。
 このような非常に冷たい地球を外から見たら、まるで白い雪だまのように見えたと考えられることから、英語ではSnow Ball Earth(雪球地球)とよばれ、日本語では全球凍結と呼ばれています。
 もしもこのような事件の推定が本当であれば、生命にとっては大変な事件となります。当時の生物は海洋にいました。そしてその海洋生物の多くは、栄養豊富な海岸付近や海面付近で生活していたはずです。そんな生物に、海面が全部凍ってしまうほどの寒さが襲ったのです。6億年前に生きていた大部分の生物は、大絶滅をしたはずです。
 ところが、そんな苛酷な環境でも、生命は生き延びています。そして、生き延びた生命は、大氷河期の後に爆発的に発展します。それがカンブリアの大爆発とよばれるものです。


Letter■ 年賀のお礼・母の滞在 

・年賀のお礼・
いく人かの読者から、年賀の挨拶をいただきました。
ありがとうございます。
考えてみたら、ほとんどの読者は、メールマガジンを購読しているだけで、
私に会ったことも、話したこともないはずです。
同様に私もメールマガジンを発信しますが、読者の顔も声も知りません。
そんな方から、年賀の挨拶をいただくとありがたいものです。
もちろん知り合いかも、メールマガジンに関して、
コメントを書いた年賀状をいただきました。
中でも、「生き方に共感します」というコメントは、
非常にうれしかったです。
そんな読者の言葉や、友人の言葉を励みに、
これからもメールマガジンを続けて生きたいと思います。
これからも、よろしくお願いします。

・母の滞在・
1月1日号に書きましたが、
母が暮れから、正月にかけて我が家に滞在しました。
ですから、昨年の暮れから今年の正月にかけて、
私は、長い冬休みをとりました。
1週間ほど、母の子として、家族の父として過ごしました。
それは、なにも奇麗事ばかりでありません。
どろどろとした、現実がそこにはあります。
子供をしかりつけたり、母の老後の不安の話しをしたり、
私の税金の話、私の弟家族の不和の話など、
現実的なことも、いろいろ話すことになります。
電話でももちろん、同じような話題を話しますが、
面と向かって話すと、時間無制限のデスマッチのように、
洗いざらい話すことになります。
つまり、とことん話すということになります。
電話ではどうしても、限界があります。
滞在中に、機会があるたびに、そんな現実的な話をしていくことになります。
年に数度しか会わない親子ですからしょうがないのかもしれません。
そんな会話の後に、再びお互いの共通認識ができいるのかもしれません。
やはりどんなに情報機器が発達しても、
面と向かって、顔と顔を合わせて、目と目とを合わせて
会話することは重要です。
こんな会話がコミュニケーションの原点です。
会話がなくても、会えば表情からコミュニケーションができます。
まして家族です。すぐに考ええていることが理解できます。
母の滞在で、そんな当たり前のことを再確認しました。


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