生命の歴史
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Essay■ 2_26 酸化地獄
Letter■ 生命のたくましさ・日本のKT境界・私の父親観
Words ■ 生きていくことは大変。まして子々孫々が生き延びることは・・・


(2003年12月18日)
 約20億年前、生命は未曾有の危機に襲われます。地球史上最大の絶滅になったはずです。しかし、その危機を乗り越えた生物は、大きな飛躍をすることになったのです。


Essay 2_26 酸化地獄

 生命の絶滅は、それまで生きていた生物がいなくなることによって、その絶滅の規模が考えられます。絶滅した生物の種類数などの統計によって、その絶滅の程度がわかります。あるいは、その後に出現した新しい生物の種類数でも、絶滅の程度が推定できるかもしれません。しかし、絶滅した生物の種類数も、その後の出現した生物の種類数もわからないときは、絶滅の規模は想定できないのでしょうか。
 そのような情報がなくても、大絶滅があったであろうことが想定できるときがあります。それは、大規模な環境変化があったときです。近年話題に上っている地球環境問題などの比ではなく、とてつもない環境変化が起こった場合です。
 約20億年前、その大異変が起こりました。28億年前に起こった激しいマグマの活動によって、陸地がたくさんできました。それまで地球の表面には、列島程度の大きさの陸地はたくさんあったのですが、あまり面積として多くなかったと考えられています。ところが激しいマグマの活動によって、大陸と呼べるような陸地がいくつもできました。すると、陸地の周辺にはたくさんの浅い海ができました。
 浅い海には、太陽の光が届きます。そんな環境に適応した生物として、光合成をする生物が生まれました。そんな生物がつくった岩石としてストロマトライトというものがあります。ストロマトライトとは、シアノバクテリアがコロニーをつくって住んでいた場所にできた地層のことです。このストロマトライトが20億年ころに大量に見つかります。つまり、浅い海には、光合成をする生物が大繁栄をしたことを意味します。
 光合成生物が大繁栄するということは、大量の酸素が作られるということです。それまで地球上には、酸素がありませんでした。二酸化炭素と窒素を主成分とする大気を持っていました。ですから、海水にも酸素が溶け込んでいませんでした。ところが光合成をする生物の大量発生によって、今までない酸素が大量に海水中に放出されたのです。
 酸素がそれほど多くないときは、環境にそれほど影響はありませんでした。酸素は、海水中に溶け込んでいた鉄のイオンを酸化することによって、消費されていました。鉄イオンがある限り、海水中の酸素はできてすぐに使われてしまうので、それほど増えることありませんでした。しかし、やがて海水中にとけている鉄が使い尽くされるときがきます。その時、大きな環境の変化が訪れます。
 酸素は、生物にとっては有害なものです。体の中に入ると、体の成分が酸化されて別のものになっていきます。そうなると生存ために必要な機能が失われます。もちろん、そんな生物は死んでしまいます。
 海水中に酸素が増えていくということは、今まで海で生きていた生物は、今までの生き方では、もやは生きていけないことを意味します。生き延びていけるのは、酸素を解毒できる生物だけです。一番最初に酸素を克服した生物は、細菌の仲間(好気性細菌)だと考えられています。酸素をうまく解毒し、利用することもできるような生物が誕生したのです。
 あるとき、そんな好気性細菌が他の生物と共生をします。つまり、酸素を苦手とする生物(嫌気性生物)が、自分の体の中に、好気性細菌を取り込みます共生の始まりです。好気性細菌は嫌気性生物の体内の酸素を解毒します。嫌気性生物は住みやすい環境と栄養を好気性細菌に与えます。葉緑素をもつ光合成生物はやがては植物に、葉緑素を持たない生物は動物になっていきます。好気性細菌は、今では細胞内のミトコンドリアとして、多くの生物が持っている組織となっています。
 このような共生関係が果たせなかった生物は、死ぬか、酸素のない限られた環境でしか生きていけません。このような形成関係を結べる生物は少数派だったでしょう。ですから、ほとんどの生物は、この環境変化に耐え切れず、絶滅したはずです。
 酸素の形成は、地球史上もっとも大きな環境変化がおこったのです。それは、酸化地獄とも呼んでいいほどの環境の激変でした。それに伴う絶滅は、地球史上最大のものだと考えられます。20億年前の生物の化石は少なく、種類数も充分把握できていません。ですから、どの程度の大絶滅があったはわかりません。
 酸素を利用しない生物がブドウ糖(1mol)から作り出せるエネルギーは50kcal程度なのに対し、酸素を利用する生物はミトコンドリアの働きによって700kcalものエネルギーを作り出せます。エネルギーで見ると10数倍も効率がよくなったのです。酸化地獄をなんとか生き延びた生物は、その副産物として大きなエネルギー効率を手に入れたのです。私たちの祖先もその生き残り組みでした。生物とは逞しいものです。


Letter■ 生命のたくましさ・日本のKT境界・私の父親観

・生命のたくましさ・
生命は、ひとつひとつを取り上げてみていくと、
ちょっとした環境の変化が起こると死んでしまいます。
そういう点では、生き物とは、か弱い存在であります。
しかし、生命全体としてみると、なかなかタフな存在となります。
つまり、生命を個々の生き物としてではなく、
生物全体として考えるということです。
地球上でどのような環境の変化が起こっても、
生命は耐え抜いて生きてきました。
それどころか、生命はそんな逆境を生き延びるために会得した新たな能力を、
今度は、自分たちが生きていくときに
すごく有利な能力へと転用していきました。
そんな生命のたくましい生き方を、
このシリーズを通じて感じていただければ思います。

・日本のKT境界・
前に海岸のKT境界を取り上げたことがあります。
その内容に対して、Kojさんから、
日本にはKT境界がないのという質問を受けました。
それに対して、私は次のようなメールを出しました。

「KT境界は日本にはないのかという質問についてです。
結論からいうと、あります。
まず、KT境界がみつかるには、いくつの条件をクリアしなければなりません。
白亜紀と次の時代の新第三紀の地層が
連続的にたまるような環境がなければなりません。
さらに、境界部の地層が、地下にあってはだめで、
現在の陸地の地表になければなりません。
海でたまったものがたまたまでいいですが、
現在、陸上になければなりません。
境界部が人間に見えるようにがけになっていなければなりません。
つまり、地表に露出していなければなりません。
さらに、その境界を地質学者が調べ、
KT境界であると認定しなければなりません。
そんな条件を満たしたところだけが、KT境界となります。
白亜紀の地層は日本にもあります。第三紀の地層もあります。
しかし、その境界が認定されているのは、私が知っている限り、
一箇所、北海道で見つかっているものだけです。
ほかのところでも見つかっているかもしれませんが、
私はその後の研究をフォローしていません。
北海道の境界についても、私は、昔、論文で見たものなので、うろ覚えです。
でも、写真が記憶に残っています。
そこは露頭があまりよくなく、
重機をつかって、掘ってつくったもので、
あまり立派な露頭ではないようでした。
そして、確か境界には墨か粘土のような黒っぽい薄い層が
あったように記憶しています。
でも、ヨーロッパで私が見たようなものより、
小規模ですが、あるかないかということは大きな差です。
日本でも、KT境界はあったのです。
以上が回答です。」

というものでした。

・私の父親観・
No.170の「6_34 科学する心を育む」という衛星画像シリーズで
最後の回の文章にかんして、幾人かの人から反応がありました。
「何かあったのですか」とか「家族と研究者のありかた」、
「ボランティア」、「生活スタイル」など
いくつかの観点での意見がありました。
その中で、家族の中の父の役割に関して私が出した返事を紹介しましょう。

「前回の「地球のささやき」に関しては、いくつかのメールがありました。
この文章では、私の生き方を書いたものです。
他の人の参考になるかどうかわかりません。
でも、姿勢は参考になるかもしれません。

かつて日本のお父さんたちは、モーレツに働くことそれが責務であり、
働くことがやりたいことでもありました。
「亭主元気で留守がいい」とまで揶揄されながらも働きました。

その次がマイホームパパでしょうか。
家庭が一番大切で、家庭を支えるために仕事をする。仕事は2番目でした。
これは豊かな時代だからできたことです。
生きがいとしての家庭があり、仕事は一番の生きがいではなくなったのです。

そして最近は不況で家庭優先というような仕事の仕方では、
リストラにあってしまいます。
ですから、しかたくなく家庭を犠牲にして、働くしかない、
どっちつかずの親父が生まれます。

私は、理想論かも知れませんが、
仕事は自分のやりたいものをすることが理想だと考えます。
その点では、私は理想的な生き方かもしれません。
でも、大切なことは、雇用主や雇用形態が変わってもやりたいことがあり、
それを自分の生きがいとして、仕事としておこなうことです。
あるいは生活さえできれば、お金のためでなくても、
その仕事をやり続けたいという気持ちです。
そのためには、プロフェッショナル、職人なるべきだと思います。
人より秀でた何かを身につけることです。
才能、努力、能力、アイディア、根気、手間、技術なんでもいいと思います。
人からお金を払ってでもやってもらいたい何かをもっていれば、
それは、十分食うための糧となります。
昔は、職人は家で仕事をしていました。
そして家族、特に子供はそんな親の姿をみていました。
今の子供は親の働く姿をなかなか見れません。
働く姿を見せること、それはいちばん素晴らしい教育ではないでしょうか。
そんな家庭からは、親のありがたさ、偉大さ見えてくるのでないでしょうか。
でも、なかなかそうは行かないのが現実です。
私の研究者という職業でも、
親が子供に何をしているか見せ付けるは難しいものです。
でも、試行錯誤のうちにたどり着いたものが、
エッセイで書いたようなスタイルだったのです。

私は、子供ができたとき、一番大切なものとして、
お金やおもちゃなどではなく、時間をあげることを考えました。
自分にとっては、時間が一番貴重です。
その時間を子供にさくことにしました。
これはやってみるとなかなか大変なことです。
だから生活パターンを朝型に変えました。
そして夕方はできるだけ早く帰るようにしています。
野外調査もたくさんしたいのですが、
そうなると土曜、日曜の不在時間が多くなります。
それを補うために、野外調査で可能な限り家族を同行するようになりました。
現在は、土曜、日曜は朝の9時か10時くらいまでは
大学に出ていますが、あとは、家庭サービスに努めています。
そんなことができるように、住む場所も大学の近くを選びました。
計画づくのように見えますが、そうしないと時間が補えないからです。

いつまで一緒に子供たちとの調査が続けられるかはわかりません。
長男は来年からは小学校になります。
でも、あと数年はこのスタイルでいくつもりです。
それが、私が苦労の末にたどり着いた結論でもあります。」

というのが私の気持ちです。


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