地球の歴史
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Essay■ 1_87 再定義:第四紀問題2
Letter■ 繰り返される再定義・学生の成長
Words ■ 定義も成長しているのか  


(2009.12.10)
  第四紀のはじまりは、ここ数年、地質学界の重要問題でした。いや、地質学界だけでなく、多くの関連分野の研究者も、その成り行きに注目していました。その決着を今年やっとみました。第四紀の定義は、従来のものと変更になりました。今回のエッセイでは、その定義の内容を紹介しましょう。

Essay■ 1_87 再定義:第四紀問題2 

 前回、第四紀問題で、決着がみたといいました。決着とは、学会が公式に、第四紀をこう定義するということを決めたことになります。定義をするということは、第四紀を廃止するという案はなくなり、公式に定義を行い、正式に第四紀という時代区分を使うことができるということも決まったことを意味します。その定義とは、第四紀のはじまりを258.8万年前とするというものです。
  この決定が下るまでは、第四紀のはじまりは、カラブリア期(Calabrian)の最初(180.6万年前)と考えられていました。しかし、今回の決定までは、ゲラシア期(Gelasian)の最初(258.8万年前)も併記されていました。それが、今回、ゲラシア期のはじまりを、第四紀のはじまりと決まったのです。結局、第四紀は、78.2万年、時代が延び、古くなり、遡ったことになります。
  この第四紀の定義は、いくつかの定義もかねることになります。第四紀は、新生代の最後にあたり、新生代はパレオジン、ネオジン、そして第四紀に区分されます。ですから、第四紀の下限とは、ネオジンの最後ともなります。ネオジンは中新世と鮮新世に区分されます。第四紀は、更新世(Pleistocene)と完新世(Holocene)に区分されます。ですから、第四紀の下限の年代は、鮮新世と更新世の境界にもなります。
  第四紀は、比較的大きな時代区分なので、上で述べたようないくつもの境界になってきます。
  そもそも第四紀とは、1829年、デノアイエ(J. Desnoyers)は、パリ盆地で第三紀の地層の上に重なる海でできた地層(海成層といいます)の年代名として第四紀を用いました。これが第四紀の定義のはじまりです。
  その後、1833年、C.ライエル(C. Lyell)は、地層に含まれている貝化石に現生種がどれくらい含まれているかによって決めることにしました。ライエルは、第三紀の一番最後を、現生種を70%以上含む地層の時代を「更新世」(Pleistocene、最新の意味)としました。それより後の時代を「現世」として、人類の遺物を含むのが特徴の地層であるとしました。
  ところが、1846年、フォーブズ(E. Forbes)は、第四紀として更新世を氷河時代にのみに用い、第四紀から更新世を除いたものを現世と提案し、定着しました。1885年の万国地質学会(IGC)では、そのように定義された現世を完新世という名称にすることが決定されました。1885年以降、第四紀は、氷河時代の更新世と氷期以降の完新世に区分されるようになりました。
  また、1911年にオー(E. Haug)は、新生代の時代区分が哺乳類化石で区分されることが多いので、第三紀と第四紀の境界もそれに従うことが望ましいと考えました。そして、現代型のウシ、ゾウ、ウマの化石が最初に出現するときを、第四紀のはじまりと定義しました。1948年には、ロンドンでおこなわれた万国地質学会で、第四紀のはじまりは、海の動物化石群の変化によって決定することになりました。
  その後、第四紀の基底がみられる典型的な地域(模式地と呼ばれます。GSSP;Global Strato-type Section and Point)として、地中海沿岸のイタリア、ヴリカという地域のカラブリア層(カラブリア期のもととなった名称)が決まりました。カラブリア層の中にあるe層と呼ばれる地層の上面が、その始まりとなりました。カラブリア期のはじまりは、180.6万年前でした。それが、1985年の国際地質科学連合(IUGS)で決定されました。その定義が、今年まで活きていたことになります。
  研究が進むにつれて、いくつも時代境界の候補が提唱されるようになってきました。深海底の堆積物中の化石(底生有孔虫と呼ばれるもの)の酸素同位体比が現在の値より大きくなる時期、北半球高緯度の地層で氷河漂流堆積物が出現し始める時期、中国の砂丘堆積物(レスと呼ばれる)のはじまり時期、などが候補に挙がってきました。それらが、いずれも従来のカラブリア期ではなく、ゲラシア期の始まり、258.8万年前、を支持しており、混乱を招き、議論を沸き起こす結果となったのです。
  今回、第四紀をなくすのではなく、その新たな提案が受け入れられ、ゲラシア期のはじまりの258.8万年前が、第四紀のはじまりとなりました。それに伴って、ゲラシア期のはじまりの地層(模式地)が第四紀のはじまりの模式地となります。第四紀のはじまりは、シシリー島のモン・サン・ニコラの南斜面にある地層で、古地磁気のデータ(松山/ガウス境界の約1m上)を基にして決められています。その時代は、酸素の成分(酸素同位体ステージのMIS103の基底)にも対応しています。
  では、これほど問題になってきた第四紀の境界では、いったい何が起こった時代だったのでしょうか。それを次回紹介しましょう。


Letter■ 繰り返される再定義・学生の成長 

・繰り返される再定義・
今回の第四紀のはじまりが決定するまで、
何年もの紆余曲折がありました。
上で述べたように、何度も再定義されてきました。
一度は廃止案も浮上してきました。
第四紀は、いちばん私たちに身近な地質時代です。
それでありながら、定義の改定を繰り返してきました。
データも他の時代と比べて多いはずです。
それなのに、なかなか決まらない。
これは、もしかすると、関心の大きさが
引き起こす現象なのかもしれません。
関心が大きいと、研究者も多くなり、
研究も増え、得られるデータも増える。
すると、いろいろ新しいことがわかるようになり、
今までの内容での不都合が見えてくる。
そして、その不都合を解消するために、
再定義がなされる。
そこには、研究者、研究分野の利害も発生する。
そして、混乱が生じる。
というようなことが
繰り返し起こっているのかもしれません。
研究者が少ない時代境界は、
あっさりと再定義され、変更が起こっています。
参加者が多い物事における変更は、
なかなか大変なのです。
ですから、研究が進めば、
また再定義の議論が浮上するかもしれませんね。

・学生の成長・
私が担当している4年生の卒業研究が
最後の詰めの段階にあたっています。
毎日、空いている時間のすべてを
個別面談をして、報告書の添削にあたっています。
先週から来週半ばの締め切りまで続きそうです。
学生も大変でしょうが、私も大変です。
自分の仕事を、最後の最後まで突き詰めていく、
研究するという姿勢を学んでいく、
そんなチャンスでもあります。
学生には、そういうチャンスは
4年生までもったことがありませんでした。
ですから、はじめての経験となります。
プレッシャーに押しつぶされそうになる学生もいます。
そんな学生をはげましながら、面談は進行していきます。
でも、形が見えてくると、
学生も最後のがんばりを見せます。
それで彼らが、成長してくれればいいのですが。