地球の歴史
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Essay ■ 1_51 中生代から新生代へ4:衝突説の影響
Letter■ はじめてのこと・短い秋
Words ■ 秋が駆け足できています 


(2005.09.29)
 K-T境界の事件については、今回が最後です。K-T境界の研究は欧米の科学者たちが中心になって進めてきました。この説が科学的検討に耐え定説化した裏側には、科学者の人間的な営みもあったのです。


Essay 1_51 中生代から新生代へ4:衝突説の影響 

 中生代の白亜紀から新生代の古代三紀へ時代境界、K-T境界についての事件のあらましは、前回まで3回にわたって紹介してきました。このK-T境界の論争は、学問的な成果だけでなく、実はいろいろな影響を与えました。その波及効果の2つについて、今回は紹介しましょう。
 ダーウィンの進化論以降、生物の進化を科学的な視点で考えられるようになってきました。欧米においては、生物の進化を採用すということは、宗教からの脱却をも意味しました。かつて欧米では、世の中のあらゆることが、キリスト教あるいは聖書に基づいてました。生物進化を採用することは、「聖書の中の事実」としてノアの洪水のような天変地異の出来事や創造説を否定することでした。
 宗教からの脱却には歴史的な天変地異説と斉一説の大論争がありました。激変説とは、19世紀初めにキュビエが中心になって唱えた説で、地球の歴史では急激な天変地異が何度もあり、そのたびに生物が絶滅し、新しい生物が出現したという考えでした。キリスト教では、激変とは「ノアの洪水」のことでした。斉一説とは、現在も働く地球の定常的な営みによって、過去の出来事もさなれるという考えです。生物の進化もその中に位置づけられました。
 天変地異説と斉一説の大論争の結果、斉一説が勝って現在に至っています。ですから、西洋の科学者にとっては激変説は、過去の苦い歴史で、一種のタブーでもありました。ところが隕石衝突説とは、激変説の再来でもあったのです。
 隕石衝突説は、欧米の人にとっては、科学以前に心理的に抵抗があったようです。科学的に反論するために、隕石衝突説を他の絶滅説でも検証しようとしたのですが、なかなか証拠がそろわないで、現在では負けた状態となっています。
 科学的に隕石衝突説が正しいことがわかってくて、科学者たちがそれを受け入れるようになってくると同時に、天変地異説と斉一説の争いという歴史的呪縛から開放されたのです。
 もう一つ重要な波及効果がありました。それは、この隕石衝突説が提唱された頃にあった「冷戦」という世界情勢と関連していました。
 第二次大戦後、トルーマン大統領のアメリカ合衆国と指導者スターリンのもとのソビエト連邦(当時)との間で始まった対立は、1947年、アメリカのジャーナリストのリップマンが書いた「冷戦」という本によって、一般化した言葉になりました。大戦後から1980年ころまでは、アメリカとソビエトによる軍拡による冷戦の時代でありました。
 1980年のアルヴァレらの論文に刺激をうけたカール・セーガンらは、1983年に「核の冬」という論文をサイエンスという世界的に権威のある雑誌に発表し、世界に衝撃を与えました。
 冷戦による軍拡によって米ソ両国は、大量の核兵器を保持していました。セーガンらのモデルは、両国が使用できる全核弾頭の半数以上を爆発させたいう核戦争をシミュレーションしたものでした。モデル計算をした結果は、次のようなシナリオとなりました。
 核戦争によって上空に持ち上げられた大量の塵や火災による煙によって、北半球の地表は寒く暗くなります。3週間後に陸上の気温が40°Cほど低下します。太陽光を利用する光合成が停止し、植物が壊滅します。それによって食物連鎖が切断されます。さらに光合成によって供給されていた酸素もなくなり、オゾン層が減少します。有害な紫外線は陸上生物にさらにダメージを与えます。
 最終的に、生存する生物は非常に少ないという結果になりました。さらにホモ・サピエンスの絶滅を引き起こすと、結論しました。
 科学者だけでなく心ある人たちは、この論文に衝撃を覚えました。その論文だけのせいではないかもしれませんが、幸いにも全面核戦争は回避されました。冷戦は科学が招いた人類の危機でしたが、その危機を察知して警告を出したのも科学でした。科学は両刃の刃なのです。



Letter はじめてのこと・短い秋 

・はじめてのこと・
隕石衝突説の提唱の一人、ルイス・アルヴァレスは
核とも関係が深い人物でした。
彼は、核兵器による「はじめて」のことに
2度も立ち会ったことのある唯一の科学者でした。
その「はじめて」のこととは、
・最初の原爆実験を上空から観測したこと
・人類にはじめて使用した原爆を広島の上空から観測したこと
というものです。
核に対して重要な「はじめて」の事件に
二度にわたって上空から核爆発に立ち会ってきました。
いってみれば、ルイスは核爆弾を一番知っていたのです。
カール・セイガン以上に核について知ってるはずです。
それを後の論文に反映させなかったのは、なぜだったのでしょうか。
でも、それに関してはもう問うことのできない過去のことです。
いずれにしても、K-T境界の隕石衝突説は、
人間の核戦争への抑止力にもなったのです。

・短い秋・
秋分の日の連休に、大雪山にいってきました。
黒岳に家族で登ってきました。
8合目あたりまで広葉が始まっていました。
広葉どころか、9月21日には、
大雪山の黒岳や旭岳では初雪が観測されました。
麓ではまだ秋の花が咲いているのに、
山では冬が忍び寄っていました。
北海道の短い秋が山から駆け下りてきます。