地球の歴史
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Essay ■ 1_29 時代区分:相対年代
Letter■ キャンプ・生き物たち
Words ■ 生き物が物語ることは多い


(2004年8月5日)
 地球の歴史の概略をシリーズで紹介しましょう。まず、時代区分の方法を考えていきましょう。


Essay 1_29 時代区分:相対年代 

 地球の歴史を考えるとき、時代を区分して考えていきます。例えば、ジュラ紀や白亜紀がそのような時代区分の例です。時代を区分するということは、時間を区分するということになります。
 ところが物理学で定義されている時間は連続的なものですから、なんらかの目印によって連続な時間を区分しているはずです。
 その目印は、誰もが納得できて、どの時代でも、どの地域でも、通用するようなものがいいはずです。では、時代区分をするときに、どのような目印を使えばいいのでしょうか。
 どの時代でもどの地域でも通用する目印として、一番重要な条件は、現在までその目印が残っていなければなりません。これは、不可欠の条件です。そのほかにも満たすべき条件があります。
 時間を区切る目印の条件としては、だれにでも見えるもの(可視性)、いつの時代にでも使えるもの(汎用性)、どこの場所でもみつかるもの(敷衍(ふえん)性や広範さ)、手軽なもの(簡便性)、正確にきまるもの(精度のよいもの)、などが考えられます。
 このような目印の条件を満たすものは、今のところありません。そこで、妥協策として、化石などが利用されています。
 化石などを用いて、地層の後(あと)先(さき)の関係を決めて、それをもって地層などの順番を決めていくものです。何年前という数値は決められませんが、どちらが先か、どちらが後かを決めることができます。
 化石を用いた時代の目印は、大量絶滅によってそのランクを決めることができます。絶滅の程度が大きければ、その目印はより大きなランクの時代区分となり、絶滅の程度が小さければ、時代の区分のランクも小さなものとなります。
 絶滅の程度が大きいということは、地球の環境に大規模な変化が起こったことみなせます。ただし、このような時代区分は、人為的な判断に基づくものであることを忘れてはいけません。
 化石は、大きく肉眼で見えるものを使えば、経験さえつめば、野外調査の場で、どんな時代かを決めることができます。つまり、その化石の出る時代があらかじめ知っていれば、その地層のできた時代が限定できます。このように化石によって決めた年代を、相対年代といいます。
 相対年代の利点は、上で述べたように、化石、特に大型のものは誰にでも見えるという可視性があります。そして、化石の識別(同定)ができれば、時代がすぐに決定できます。特別な道具はいらず、野外ですぐに時代が決まるという。簡便性があります。化石がたくさん出る場所や時代では、非常に精度よく決めることができます。
 相対年代の欠点は、化石に残るような生物のいない時代には使えないことです。つまり、主に5億7000万年前以降の顕生代(けんせいだい)という時代にしか、利用できないのです。時代の範囲が狭く汎用性がないといえます。また、化石は堆積岩だけからしか出ません。地殻を構成する岩石のうち、地層をつくる堆積岩は、非常に少ないものです。ですから、敷衍性や広範さがないといえます。上で化石がたくさん出る場所や時代では、非常に精度がいいといいましたが、逆に化石の少ないところや化石の時代範囲が不明瞭の場合は、正確に時代を決めることができません。つまり、精度が悪いという面もあります。
 このような欠点を補うために、絶対年代というものが利用されています。それは次回としましょう。



Letter キャンプ・生き物たち 

・キャンプ・
北海道は、まだ暑い日々が続いています。
涼しいつもりで北海道に来ている観光客はがっくりしていることでしょう。
我が家は、先日キャンプをしました。
そのキャンプ場は車で30分ほどのところにありました。
私も久しぶりのキャンプでした。
家内や子供たちは初めてでした。
今日の午後も(8月4日)も近くのキャンプ場に出かけるつもりです。
自転車でいっても森の中を通り抜ければ、
15分ほどで着く森の中のキャンプ場です。
でも、荷物があるので、車で行くと遠回りになり、
車でも15分ほどかかります。
私は、人の多いキャンプ場は苦手です。
できれば、誰もいないキャンプ場が理想です。
季節外れでもない限り、そんなところはないでしょうが。
でも、キャンプすることは、
私にとって自然を身近に感じるためだと思っています。
人工の灯りも最小限しか持っていきません。
食事も買ってきたものを、皆で外で食べることにしています。
夜の自然を楽しむこともキャンプの楽しみの一つでしょう。
子供たちは、自然の中で遊べばいいのです。

・生き物たち・
キャンプをしていると
灯にはクワガタなどが集まりますから、
それを子供たちはとります。
虫取りや魚取りをすると、
虫かごやビンに生き物を入れておき、
獲った成果を眺めます。
そんな虫たちも、しばらくしたら、あるいは遅くとも翌朝には
逃がすことにしてます。
なぜなら、飼っていると、たいていは死んでしまうからです。
それなら、楽しんだ後は逃がしてやればいいと思っています。
子供たちは、虫や魚を獲ること、
そしてその獲ったものを集めて、眺めることで満足しています。
生き物を飼うことは責任があることだと思います。
そして死が自分の責任であることを理解すべきだと思います。
うまく飼えるようになったら、
持って帰ればいいと思っています。
小学生の長男は長期間に渡って世話をするということは
まだできないようです。
すでに、何匹も殺しています。
オバケイエビ、カブトエビなど
付録で付いていたもので試していますが、まだダメなようです。
あまりに小さいため、生き物の死を実感できないのかもしれません。
そんなことを親としては考えますが、
子供はいたってあっけらかんとしてます。
世代ギャップなのでしょうかね。