地球の歴史
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Essay ■ 1_27 長い時間と子孫たち
Letter■ 良くないものは消え去ること
Words ■ 弁解もほどほどに


(2003年11月13日)
 だいぶ以前のことです。ある読者からのメールの一節に「星の寿命って私たち人類と比べるとずっといんですよねー」というのがありました。そのとき私が書いたメールから次のようなエッセイを書きました。


Essay

 「星の寿命って私たち人類と比べるとずっといんですよねー」そうなんです。星の寿命は、すごく長いのです。わかっていても、実は、100億年や50億年という時間の流れは、人類にとっては、長すぎます。ですから、多分だれも、実感できないと思います。
 でも、科学者たるもの、わかったふりをします。でも、それは頭でわかっているだけで、実感がなかなか沸かないのも事実です。こんなたとえ話をしましょう。(このたとえは、私が返事のメールで使ったものです)
 人間の1世代を30歳としましょう。30歳で子供を産みます。すべて、30歳で次の世代を一人作るとします。では、その家系で、地球の寿命分の時間(46億年)で生まれた子供の数をすべて足すと、日本の人口より多いでしょうか。少ないでしょうか。どちらでしょう。
 答えは簡単に求められます。30年にひとりの子供が生まれるのですから、
46億年÷30年 = 1億5000万人
です。日本の人口を、1億3000万人とすれば、ほぼ、日本の人口に匹敵します。それくらいの時間が経過しています。すごく大きいでしょう。
 というような、たとえ話をしました。あまりいい例では、なかったでしょうか。
 もうひとつこんなたとえはどうでしょうか。毎日1万円の貯金をしましょう。一生かければ46億円たまるでしょうか。
 これも答えは簡単に求めることができます。80歳まで生きるとしましょう。
 1万円×365日×80年 = 2億9200万円
となります。46億円ためるには、1260年必要となり、一生では到底貯めることができません。
 それくらい、長い時間ということをいいたかったのですが、たとえが、こちらの意図しているとおり伝わるとは限らないのです。
 たとえば、1番目の例で、15歳から30歳まで毎年子供を作れば、一人が一生で15名の子供が作れから、46億年たつと、22億5000万人子供をつくれるのか。もし、3名からスタートすれば、たった3つの家系で人類全部がつくれるのか。などというイメージがつぎつぎと膨らんでいくこともあります。2番目の例では、1万円ずつ毎日ためれば、一生で3億円貯められるのかという印象を抱く人もいるかもしれません。
 すると、伝えたい数値が、どこかへいってしまい、3名とか、22億、3億などの別の数値が頭に残ってしまいます。これでは、いけません。困ったことになります。
 このようにたとえによって、違ったイメージが植えつけられるとこまるので、それくらいなら正確な数字を用いればいいのという当たり前の結論に達します。
 問題を生じやすいのは、この例では、人ととか、お金とかをたとえにしました。すると、時間の流れを、別の価値観のある数に置き換えてしまっています。これが問題を生む危険性があります。時間を別の次元や価値観の数字に置き換えているようなときは、注意が必要です。
 よく使われるたとえで、地球46億年の歴史を1日、あるいは1年にたとえると、というようなことがります。これは、親しみのない時間を、別の身近な時間に置き換えて、特に、人類の歴史の少なさを実感させるためにたとえとして利用されています。これはこれでよくできた、たとえでしょう。でもそれは、時間が短いということだけに、専念したためです。
 しかし、大晦日に人類が生まれたと、大晦日の12時直前に生まれたというようなたとえでは、伝えたいの数値であれば、このような似た性質のたとえは、誤解を招きやすくなります。
 さらに、たとえでは、日本の人口を多い、人類の歴史を短いという意味を持たせました。このイメージが多くの人が共通に持つものでないといいたとえとはいえません。人口が1億じゃ少ないと思う人、1年の大晦日の夜や、数秒が短いと思えない人がいれば、このたとえは通じません。
 つまり、たとえはしょせんたとえで、あるイメージを抱かせるためにもので、正確にはやはり数値があるなら数値で示すべきでしょう。特に重要なことを伝えるためには、たとえには注意が必要です。



Letter 良くないものは消え去ること

・良くないものは消え去ること・
私がメールで送った上のたとえは、あきらかに失敗です。
その失敗を教訓として、どうすべきか考えたものをエッセイにしたものです。
あるいは、言い訳の文章というべきでしょうか。
いいたとえは、やはり効果があります。
そのようなたとへは、長く、そして多くの人が利用していきます。
失敗したたとえは、だまって消え去るのみです。
ですから、あまり、失敗を騒がないほうがいいのでしょう。
でも、心配がひとつあります。
それは、このエッセイを読んだ人が間違ったイメージを抱くことです。
弁解もほどほどにしないといけませんね。
弁解をくどくどすることによって
ますます間違ったイメージを拡大していく可能性があります。
良くないものは、だまって見過ごすに限るのでしょう。
今回のエッセイのことはできれば、忘れてください。
記憶しておいてほしいことは、
46億年という時間は非常に長いということです。
これ以上いうと、ますます記憶に残ってしまいそうです。
では、ここまでとします。